明治時代にアメリカで発刊されてベストセラーとなり、その後、世界的に翻訳され発刊、そして、今も再版されている、
杉本鉞子(すぎもとえつこ)著「武士の娘 A Daughter of the Samurai」
この名作エッセイに関して言及した書籍では、たぶん一番新しい物で、
内田義雄著
「鉞子 Etsu Sugimoto 世界を魅了した「武士の娘」の生涯」を、
新潟県長岡市の図書館から借りた。
とても面白い 越後長岡に住んでる者ならば、ぜひ読むべき本だ
興味深いのは、鉞子が生まれたのは越後長岡藩筆頭家老・稲垣家の下屋敷があった新潟県長岡市地蔵町であったこと。
北越戊辰戦争後の敗戦し、灰燼となった長岡の街の中でだ。明治初期。
この地蔵町は、自分が子供の時(昭和)の遊び範囲内にある一つの町内。
て言うか、実家の隣の町内。
実家の町内辺りは、北越戊辰戦争、長岡空襲の二度の戦火から免れた。
だから、地蔵町の下屋敷で鉞子が生まれたというのも頷ける。
実家のある通りは、越後長岡藩の足軽長屋だった。その祖先の同級生も居る。
そいつの家には槍や刀とかが飾ってあるのだ。
たぶん、三河之国牛久保(愛知県)から、牧野氏にくっ付いて来たんだろう。余り無い名字だし。
実家は全く越後長岡藩とは関係無い。
祖々父が、商売を上手くやったんだろうか、明治の頃に、この通りの一角の屋敷と土地を購入したというものだ。
一体何でそんなに儲けたのか。なぞだ。でも、なかなかやんじゃねえか大じいさん。
もしかしてビジネスの才覚があったんだろうな。俺にはその血が流れてるだろうか。
それにしても思うのは、鉞子が幼少期に観た原風景と、自分がある意味一緒なのだということだ。
そんな歴史的偉人が、マジ近くに居たなんてと。そこに驚くのである。
ここら辺は、越後長岡藩が整備した福島江という用水路が象徴的に流れる。
ばさまが、俺のおしめを石段から降りて、ごしごし洗ったりしてた風景が蘇ってくる。
この川や土手でもよく自分は幼少期にやんちゃに遊んだものだ。
川の中では大体、足に捨てられた廃材の釘が刺さったり、ブリキで切ったりしてオヤジにこっぴどく怒られた。破傷風になるぞと。
この頃は、ゴミとかは平気で川に投げ込んだりしていた時代なのだ。
そんな訳で日本国中、川はどこもゴミだらけという酷い有様。今じゃ考えられないことだが。
福島江に分断された実家の町内と地蔵町を繋ぐ橋は、結構広い木橋だった(現・東神田橋)。
土砂ののっかった。欄干も手摺も無いようなものだ。
あれはあれで今思うと、味があって良かったのになあと思う。
地蔵町寄りに、雪が覆ったその木橋を、姉きのコートを着て歩いている幼い自分のモノクロ写真がある。
これが何だか好きだ あどけない顔した自分。
そう、同じ雪の風景も当然、鉞子は観ているはず。
雪に閉ざされる越後長岡の冬。確かに寂しげなフィルターがかかったような暗い情景が観える。
でも、何だろうか、実際はそうでもなく、ほっこりするような妙な温かさも感じるのである。
これらは、この歳になっても未だ夢の中に時々現れる風景である。何でなんだろう?
杉本鉞子もそうだったんだろうか。て言うか、俺だけか。
地蔵町は、今も昔とそんなに変わらず、ノスタルジックな雰囲気を醸し出していて好きな町内だ。
赤レンガ造りのお堂。
赤レンガ造りの煙突や大きな酒蔵(長陵・高橋酒造)がすっごくいい感じ。
聞く所によると、長岡市出身のロックスター、スネオヘアーがここの町内の出身とか。
ええ~ そうなのかよと。
また、近所のある姐御の話によれば、あの女優の樋口可南子も一時期住んでたことがあったんだそうだ。そんなこと全く知らなかったなあ。
こんな風に観て来ると、何かいつも通り過ぎる隣の地蔵町ってスゲエと思ったりして。
なにわともかく歴史は、面白いもんですね。
真の観光とはこういうことを言うんじゃないだろうか。たぶんに。
一大有名観光地しか宣伝しない、行かないという意識の低い、俗でステレオタイプな観光を、日本人はそろそろ改めたらどうだろう
エンターテインメント ブログランキングへ
ほんじゃね
平成27年5月10日
杉本鉞子(すぎもとえつこ)著「武士の娘 A Daughter of the Samurai」
この名作エッセイに関して言及した書籍では、たぶん一番新しい物で、
内田義雄著
「鉞子 Etsu Sugimoto 世界を魅了した「武士の娘」の生涯」を、
新潟県長岡市の図書館から借りた。
とても面白い 越後長岡に住んでる者ならば、ぜひ読むべき本だ
興味深いのは、鉞子が生まれたのは越後長岡藩筆頭家老・稲垣家の下屋敷があった新潟県長岡市地蔵町であったこと。
北越戊辰戦争後の敗戦し、灰燼となった長岡の街の中でだ。明治初期。
この地蔵町は、自分が子供の時(昭和)の遊び範囲内にある一つの町内。
て言うか、実家の隣の町内。
実家の町内辺りは、北越戊辰戦争、長岡空襲の二度の戦火から免れた。
だから、地蔵町の下屋敷で鉞子が生まれたというのも頷ける。
実家のある通りは、越後長岡藩の足軽長屋だった。その祖先の同級生も居る。
そいつの家には槍や刀とかが飾ってあるのだ。
たぶん、三河之国牛久保(愛知県)から、牧野氏にくっ付いて来たんだろう。余り無い名字だし。
実家は全く越後長岡藩とは関係無い。
祖々父が、商売を上手くやったんだろうか、明治の頃に、この通りの一角の屋敷と土地を購入したというものだ。
一体何でそんなに儲けたのか。なぞだ。でも、なかなかやんじゃねえか大じいさん。
もしかしてビジネスの才覚があったんだろうな。俺にはその血が流れてるだろうか。
それにしても思うのは、鉞子が幼少期に観た原風景と、自分がある意味一緒なのだということだ。
そんな歴史的偉人が、マジ近くに居たなんてと。そこに驚くのである。
ここら辺は、越後長岡藩が整備した福島江という用水路が象徴的に流れる。
ばさまが、俺のおしめを石段から降りて、ごしごし洗ったりしてた風景が蘇ってくる。
この川や土手でもよく自分は幼少期にやんちゃに遊んだものだ。
川の中では大体、足に捨てられた廃材の釘が刺さったり、ブリキで切ったりしてオヤジにこっぴどく怒られた。破傷風になるぞと。
この頃は、ゴミとかは平気で川に投げ込んだりしていた時代なのだ。
そんな訳で日本国中、川はどこもゴミだらけという酷い有様。今じゃ考えられないことだが。
福島江に分断された実家の町内と地蔵町を繋ぐ橋は、結構広い木橋だった(現・東神田橋)。
土砂ののっかった。欄干も手摺も無いようなものだ。
あれはあれで今思うと、味があって良かったのになあと思う。
地蔵町寄りに、雪が覆ったその木橋を、姉きのコートを着て歩いている幼い自分のモノクロ写真がある。
これが何だか好きだ あどけない顔した自分。
そう、同じ雪の風景も当然、鉞子は観ているはず。
雪に閉ざされる越後長岡の冬。確かに寂しげなフィルターがかかったような暗い情景が観える。
でも、何だろうか、実際はそうでもなく、ほっこりするような妙な温かさも感じるのである。
これらは、この歳になっても未だ夢の中に時々現れる風景である。何でなんだろう?
杉本鉞子もそうだったんだろうか。て言うか、俺だけか。
地蔵町は、今も昔とそんなに変わらず、ノスタルジックな雰囲気を醸し出していて好きな町内だ。
赤レンガ造りのお堂。
赤レンガ造りの煙突や大きな酒蔵(長陵・高橋酒造)がすっごくいい感じ。
聞く所によると、長岡市出身のロックスター、スネオヘアーがここの町内の出身とか。
ええ~ そうなのかよと。
また、近所のある姐御の話によれば、あの女優の樋口可南子も一時期住んでたことがあったんだそうだ。そんなこと全く知らなかったなあ。
こんな風に観て来ると、何かいつも通り過ぎる隣の地蔵町ってスゲエと思ったりして。
なにわともかく歴史は、面白いもんですね。
真の観光とはこういうことを言うんじゃないだろうか。たぶんに。
一大有名観光地しか宣伝しない、行かないという意識の低い、俗でステレオタイプな観光を、日本人はそろそろ改めたらどうだろう
エンターテインメント ブログランキングへ
ほんじゃね
平成27年5月10日
それと、BIGニュースです。
Youtube でチャンネル を持ちました!
N Jungka
でご検索下さい!
自分が取材した映像や自作映像作品等がご覧いただけます。
2013年8月に、ロシア(ハバロフスク、ウラジボォストーク)に一人で行って 取材した、
映像アップ しました。
松たか子、May J. ビックリ? 「アナと雪の女王」 ロシア版?
"Frozen" Russian version?
ぜひご視聴下さい!
さらに情報
★堀江貴文氏創設の「まぐまぐ」で、
自分の有料メールマガジン
「ポスティン ジャーナル」
(ペンネーム:大野田健)
平成25年8月から毎週金曜日発行で、スタート!!
皆様のお陰で、 93号 に到達しました!!
毎月324円(5回発行)
★刺激的な話題
・亡命者スノーデン氏(元NSC)とアメリカの陰謀
・柏崎刈羽原発再稼働問題の裏側
・山口県山村連続殺人事件に観る日本の未来
・伊那市の井上井月
その他、中国、韓国、ロシアについて等々刺激的に綴ってます。
これからも頑張って皆様へお届けします。
ご興味のある方は、どうぞご加入下さい。
*詳しくは、こちらをクリック(加入登録できます)
●バックナンバーもご購読できます。
どうぞよろしくお願い申し上げます!